加計問題について議論する際、私は、岡山理科大学の既存学部の偏差値について何かいうつもりはない。
入口で偏差値が低かろうと、中で勉学に励めば、出口での学力は伸びているだろうし、学んだことを社会に出てから生かせるのであれば、その大学の存在価値はある。
私自身、知人のつてを頼りに米国留学を決め、「その地域内で通学可能かつ自分の英語レベルで入学可能な大学」という理由で選んだのは、地域唯一のコミュニティカレッジである。地元の人にはボーダーフリー、留学生には一定のTOEFLの点数と内申点を満たせば入学試験なしという入りやすさだ。留学準備で参考にした留学ジャーナルでは、私の進学先はA~Dの4段階でDランクとなっていた。
コミュニティカレッジは、取得できる学位でいえば日本では短大に相当するが、高校を中退した人が高校卒業資格を得るためのクラスから、PCスキル習得等を目的とする職業訓練クラス、四年制大学編入を目指すクラスなど、様々なレベルの教育プログラムを提供しており、門戸が広く、入りやすいのは当然だ。中で提供している教育プログラムがDランクなわけではない。私には、高校卒業時点でいきなり四年制大学に入学する実力は元々なかったとは思うが、コミュニティカレッジから始めたことはむしろよかったと今でも思っている。
岡山理科大学については、既存の学部の充実度について評価するだけの情報はもっていないが、中の教育プログラムが学生にとって有益ならば、それでよいと思っている。
だが、それは既存の学部の話である。
獣医学部については、偏差値以前に、「先端ライフサイエンス等の新たなニーズに対応する具体的な構想がある」「既存の大学では対応できない」などの条件を満たして初めて設置が認められるという前提でありながら、大学院等の研究課程のない獣医師養成に特化した獣医学部を設置するというのは、どうにも説明がつかない。獣医師養成課程だけで先端ライフサイエンス研究が発展するというなら、高度研究機関など不要といっているのと同じである。
最終集計はこれからだが、今年、岡山理科大学は新設の獣医学部を除く全ての学部で定員割れを起こす可能性がある。
それを前川喜平氏や「偏向」マスコミとそれを信じる人達のせいだと憤る人がいるが、それは違う。
追及が始まったのは昨年3月であり、本当に問題がないのであれば、当事者が疑惑を払しょくするのに十分な時間はあった。受験シーズン到来目前に不要な衆院解散をして問題に背を向け、その後の臨時国会で野党の質問時間を減らして問題の解決を怠ったのは安倍総理だ。
また、岡山理科大学の既存学部の学生や卒業生の名誉を守るため、加計理事長は何かしてきただろうか。同じく逃げ回っていただけだ。獣医学部の疑惑が晴れないために、既存学部が定員割れを起こすというのなら、加計理事長は経営者として判断を誤ったということになる。
そこに怒りを覚えずに、当然の疑惑を指摘した人達を敵視するというのは理解に苦しむ。岡山理科大学の関係者こそ、「きちんと説明して早く疑念を晴らしてくれ」と加計理事長に訴えるべきではないのか。