私をシツギに連れてって


タイトルは、もちろん比喩的な意味で。シをヒと読み間違えないように、くれぐれも…

当ブログで指摘している疑問点がなかなか拾ってもらえないので、本日は野党議員になったつもりで質問内容を考えてみました。

当ブログの疑問点については、下の記事をご参照ください。

愛媛県・今治市の応募回から始まった国家戦略特区と構造改革特区の一体化。このことについて、これまで公の場では言及がないと思っていたのだが、改めて調べたところ、あった。 愛媛県の中村時広知事は、5月24日の定例記者会見で「27年春頃に当時の愛...

では、いってみます。

『今治市での獣医学部設置について質問いたします。

➣1 5月23日の農水委において、藤原元審議官から、今治市が提案した集中受付期間から国家戦略特区と構造改革特区の窓口が一体化されたと説明がありました。国会では、これまで「今治市が国家戦略特区に提案した」というように言及されてきましたが、正確には、今治市が提案したのは、この一体化された両特区共通の窓口だった、ということでよろしいですか。

➣2 中村愛媛県知事は、会見で、27年春に愛媛県の当時の担当職員が今治市職員とともに新任あいさつで内閣府を訪れた際、窓口一体化について説明があったと述べています。藤原元審議官の証言と一致しています。今治市の出張記録によりますと、27年の春、まさに新任の時期である4月2日、今治市職員が愛媛県職員とともに内閣府を訪問し、その後官邸を訪問したことがわかっています。両者の証言を総合しますと、このときに内閣府で窓口一体化について説明があったのだと思いますが、どうですか。

➣3a 窓口一体化については、各地で、また個別にも説明があったということで、大きな運用の転換だったのだと推察いたします。藤原元審議官からは、窓口一体化の際、提案をどちらの特区で取り扱うかは、各省庁との折衝を踏まえ、提案後に決められるという新しい運用になったとの説明もありました。提案者サイドでは特区の選択ができなくなったとのことです。ですから、先ほど指摘しましたとおり「今治市が国家戦略特区に提案した」というのは、不正確な表現なわけです。今治市の提案は、各省庁との折衝後どちらの特区での取扱いとなったのですか。お答えください。

➣3b (プランB:3aで「国家戦略特区」などという答えが返ってきたら、こちらの質問を)両特区共通の窓口となった募集回は、構造改革特区では第27次提案募集に当たります。構造27次関連のページには、平成27年9月25日付で各省庁からの検討要請回答が公表されており、文科省からの回答には愛媛県・今治市の提案に対する回答もあります。また、今治市・企画課の構造改革特区関連ページには、構造27次提案も含まれています。これらの情報に基づいて判断しますと、共通窓口に出された今治市の提案は、平成27年6月8日の関係省庁との折衝後、構造改革特区での取扱いとされたということになりますが、それで間違いないでしょうか。

➣4 窓口一体化後の提案の取扱いについては、国家戦略特区のページに(1)、(2)とありまして、(2)の方に構造改革特区での取扱いについての説明があります。そこには、地方創生推進室が関係省庁と調整を行い、一定の結論が得られたものについては構造改革特区推進本部で対応方針を決定する、とあります。今治市の両特区共通提案については、先ほども指摘しましたが、平成27年9月25日に構造改革特区で文科省から回答が得られていますが、これを踏まえた対応方針は構造改革特区推進本部で決定されていません。なぜですか。

➣5 記録上、今治市の両特区共通提案については、構造改革特区での文科省回答を最後に議論が停まっていましたが、ほぼ1年の空白期間の後、平成28年9月に国家戦略特区の方で議論が再開されました。構造改革特区では対応方針が決められないまま、国家戦略特区での取扱いに切り替えられたようですが、なぜ取扱い特区が途中で変わったのですか。ご説明ください。

➣6 今治市の提案以外に取扱い特区が途中で構造改革特区から国家戦略特区に変わった提案があれば教えてください。

(パネル準備)

こちらのパネルは、これまでの愛媛県・今治市の特区提案の流れをまとめたものです。新しいものから順に示しています。

募集回 政府分類 文科省分類 文科省回答欄コメント(※H27.6.8 口頭コメント)
27次・国 A* ? 4条件 ※特区での対応困難、全国的見地から検討
26次 F F 4条件 ※特区での対応困難、全国的見地から検討
25次 F F 特区での対応困難、全国的見地から検討
24次 F F 特区での対応困難、全国的見地から検討
23次 F F 特区での対応困難、全国的見地から検討
22次 F F 特区での対応困難、全国的見地から検討
21次 F F 特区での対応困難、全国的見地から検討
20次 F F 特区での対応困難、全国的見地から検討
19次 F F 特区での対応困難、全国的見地から検討
18次 F F 特区での対応困難、全国的見地から検討
17次 F F 特区での対応困難、全国的見地から検討
16次 C C 特区での対応困難、全国的見地から検討
15次 C C 特区での対応困難、全国的見地から検討
14次 C C 特区での対応困難、全国的見地から検討
13次 C C 特区での対応困難、全国的見地から検討
12次 C C 特区での対応困難、全国的見地から検討


表の「政府分類」というのは、構造改革特区で決定された政府対応方針の措置分類を示しています。「文科省分類」は、措置分類に関する文科省の見解を示しています。Aは「特区で対応」、Fは「実現に向けて検討する」、Cは「特区での対応不可」という意味です。このAの横の*印は、国家戦略特区において、構造改革特区のA相当の対応方針が決定されたことを示しています。文科省回答欄コメントは、構造改革特区で検討要請回答等として公表されている文書から拾いました。直近の2件については、平成27年6月8日の関係省庁ヒアリングの議事要旨から文科省職員の口頭コメントを拾いました。

➣7 質問いたします。今治市の構造改革特区提案については、途中、分類がCからFに変わったものの、「特区での対応は困難、全国的見地からの検討が必要」という文科省の見解に変わりはなく、提案が通らなかったという結果も一貫して同じでした。これは、加戸前愛媛県知事が国会で「15戦全敗で相撲なら引退勧告だ」と証言されたとおりです。また、文科省と政府の対応の足並みも構造改革特区ではずっと揃っていました。パネルにあるとおり、窓口一体化後に出された共通提案に対して文科省が示した回答は、その直前の構造26次提案に対する回答と全く同じ「4条件」です。「4条件を満たしたら、全国的見地から検討しますよ」という答えです。「特区対応は困難、全国的見地から検討」という口頭コメントも、同じ日に同じ場で両提案について言及があったものです。このように文科省の回答や見解は全く同じであったにもかかわらず、構造26次提案については構造改革特区推進本部で対応が決定されたのに対し、両特区共通提案に対しては構造改革特区推進本部で対応が決定されませんでした。先ほどの質問とも重なりますが、なぜ同じ文科省回答を得ながら、構造改革特区での対応方針決定が、一方ではあり、他方ではなかったのか、ご説明ください。

➣8 また、その後国家戦略特区で決定された対応方針は、構造改革特区でいえばAに相当します。文科省の回答が同じなのに、政府対応方針は、構造26次提案と構造27次・国家戦略特区共通提案とで全く異なり、整合性がありません。どのような経緯でAに相当する措置が決定されたのか、ご説明ください。

➣9 今治市における獣医学部設置については、これまで窓口一体化後に出された提案が構造改革特区で一時期取り扱われていたことについて説明が一切ありませんでした。なぜですか。

➣10 両特区の窓口が一体化されたことが誰にでもわかるようなサイト運営を求めます。また、窓口一体化後の構造改革特区での取扱いは大変みえにくい状態となっています。構造改革特区が組み込まれた国家戦略特区の運営が非常に不透明になっているとも言えます。両特区のプロセスの可視化を徹底することを併せて求め、本日の質問を終わります。』