二つの特区の一体化と和泉補佐官の関与

国家戦略特区と構造改革特区の一体化は、2015年春募集から始まったが、事前にも事後にも明確な告知はされず、手続き上の変更点についても周知徹底は図られなかった。

それを象徴する記録がある。15年7月24日、沖縄県の社会医療法人友愛会がWGヒアリングを受けているが、ヒアリング資料の表紙には「第27次構造改革特区 豊見城市医療ツーリズム」とあり、議事要旨には次のようなやり取りが記載されている。

潮平院長:…構造改革特区に関して3つ、(中略)これからお願いするわけですけれども…

八田座長:実は構造改革特区と戦略特区があって、ここは戦略特区なのですが、これは戦略特区の意味ですか。

潮平院長:これは構造改革特区。規制を取っ払ってもらうということで一応出しているのです。

富田参事官:一緒に提案募集しておりますので。

八田座長:わかりました。

潮平院長:それでいいでしょうか。

この時点で沖縄県は既に全域が国家戦略特区となっており、本来なら一般募集を待たずに区域会議に提案すればよかったのだが、潮平氏によると、前年に申請してみたが県に取り上げてもらえず、この「構造改革特区提案」を出すことになったのだという。

潮平氏は、共通窓口での募集だったことは認識していたものの、「共通提案」という扱いで特区を決めるのは事務局だということまでは知らなかったのだろう。

そして驚くことに、八田座長は、同時募集だったことも、WGヒアリングの段階では構造改革特区と戦略特区の区別がなくなったということも知らなかったようだ。それでも富田参事官に「一緒に提案募集しておりますので」と言われて「わかりました」とあっさり引き取ったのは、説明不足への文句は後で言うつもりだったのか、事務局の背後にいる主導者に遠慮したのか…。

そもそも一体化を主導したのは誰だったのか。両特区とも運営は事務局だが、二つの特区制度の手続きまで一体化するような「制度改革」を事務局が勝手に進めるはずはない。組織の上層部が主導し、推進したと考えるのが自然だ。

最近気づいたことだが、両特区の組織図を「一体化」すると、一番上にくるのは、内閣府に置かれている国家戦略特別区域諮問会議ではなく、内閣に置かれている構造改革特別区域推進本部である。推進本部の長は安倍首相だが、実務の統括者は和泉洋人総理補佐官だろう。和泉氏は、地域活性化統合事務局長として3年間構造改革特区を担当した経験がある。特区制度を熟知し、誰にも文句を言わせずに一体化をひそかに実現させることができる人物は、総理直属の和泉補佐官以外に考えられない。構造改革特別区域法第38条の規定からも、同じことがいえる。

さらには、一体化後初となった2015年春募集は、「地方創生特区 第2弾」に向けて行われており、これもまた内閣で地方創生を担当する和泉補佐官が主導したと考えられる。

最近明らかになった2015.4.2メールによると、2015年春、同時進行で両特区一体化と地方創生特区(第2弾)に向けた提案募集の調整が行われる中、募集期間もまだ確定していなかった4月2日、加計学園、愛媛県、今治市には、藤原豊次長(当時)が「今月(又はGW明け?)に予定する国家戦略・構造特区の共通提案に出してみては」と一体化の情報を提供している。

同じく最近明らかになった愛媛県職員によるメモによると、同日午後に訪問した官邸では柳瀬首相秘書官が「国家戦略特区でいくか、構造改革特区でいくかはテクニカルな問題であり、要望が実現するのであればどちらでもいいと思う」と提案の取扱いについて言及している。

提案直前の6月1日に内閣府で再び行われた事前相談では、更に具体的な説明があったようで、翌6月2日起案・6月4日決裁の今治市稟議書には、次の記載がある。

そして実際の手続きは次のように進められた。

①6月5日 WG委員による提案者のヒアリング

②6月8日 WG委員による文科省および農水省のヒアリング

③6月29日 第14回諮問会議において八田議員が「4条件」(素案)を示し、「獣医大を新しく新設することを検討することになりました」と報告。

④6月30日 獣医学部設置に係る対応方針として「4条件」を閣議決定

※当初は第27次構造改革特区提案とみなして取り扱われ、9月25日に公表された「各府省庁からの回答」(リンクは2015.10.1時点の回答公表ページ)の文科省回答において「愛媛県 今治市(共同提案)」に対して「4条件」が示される(ただし、この時点では提案主体名以外は非公表)。

ほぼ想定どおりの流れだ。

これがいかに特別待遇だったかは説明するまでもないが、比較のために敢えて指摘すると、同じく2015年春募集に応募した愛媛県内子町のWGヒアリング資料1(15年11月20日)には「第27次構造改革特別区提案」とある。今治市と同じく愛媛県との共同提案だが、内子町には両特区共通提案の取扱いについて国からも愛媛県からも丁寧な説明はなかったようだ。

前川喜平氏は、和泉氏を「キーパーソン」と指摘し、「全体のシナリオを書いていると思う」と語ったが、そのシナリオは提案前から既に始まっていたのだ。

前川氏は、「行政が歪められた」とも語った。

一体化前、構造27次募集の事前相談に係る案内ページ(2015.4.1時点)において相談受付期間は「提案募集締切日」までと告知されていた。したがって、本来なら募集期間が確定した時点で期限は「6月5日」となっていたはずだが、現在の案内ページをみると、一体化に伴って「提案募集開始前日」にあたる4月27日にまで短縮されている。公式の約束事が反故にされたのだ。

さらに、一体化で期限が変更されたのだから、当然その期限は両特区に適用されるはずだが、加計・愛媛・今治が提案募集期間終了間際の5月26日に二度目の事前相談を申請すると、翌日には6月1日の次長面談が設定されている(2015.5.27メール)。「4月27日」という期限が無効でない限り、この面談設定は不正だが、この期限を無効だとする根拠は見当たらない。一体化がばれなければ、不正もばれないというだけだ。

構造改革特区基本方針には、「本部の事務を処理する内閣府は、提案の募集に向けて、特区制度の説明を行うとともに提案に向けた相談に応じるものとし」、これに「応じるに当たって、必要な情報提供を行うものとする」とある。しかし実際は、一体化で手続きが変わっても一部の提案者以外には十分な説明はなく、事前相談の受付も一体化前夜に打ち切られた。

一体化によって構造改革特区基本方針は全く無視され、構造改革特区への提案を検討していた者は不利益を被ったのだ。制度が廃止されたわけでもないのにこれである。まさに「行政が歪められた」といえる。

国家戦略特区基本方針に「相談」の二文字はない。やれ国家戦略特区だ、近未来技術実証特区だ、地方創生特区だと度々募集テーマが変わっても、説明会が行われるだけで、全ての提案者に公平に開かれた公式の相談窓口は都度設置されてない。国家戦略特区というのは、最初から事務局による不公平な対応を許す歪んだ制度なのだ。

そもそも国家戦略特別区域法第38条第1項により国家戦略特区の提案を構造改革特区の提案とみなして取り扱うことは認められているのだから、同時募集くらいならわかるが、手続きまで一体化する必要性はどこにもない。

それを敢えて行ったのは、「なぜ国家戦略特区に切り替えた途端に実現したのか」と追及された場合に「今治市が自ら国家戦略特区を選んだのではなく、事務局の判断で国家戦略特区での取扱いとなった」と言い訳できるようにするためだったのではないか。実際、藤原氏は、昨年5月23日の参院・農林水産委員会で同様の性質の質問に対して「一体化で特区を切り替えることはできなくなった」と説明している。

ところが、5月30日、前川氏が「総理の口からは言えないから」と和泉氏から早期対応を直接求められたと証言したことが報道される。当初菅官房長官は「前川さんが勝手に言っていること」と取り合わなかったが、世論に押されて「怪文書」扱いにしていた内部文書の存在について再調査せざるをえなくなった。そしてついに「総理のご意向」文書の存在が確認されると、再度前川氏が記者クラブ会見で和泉氏から受けた圧力に言及し、和泉氏を「キーパーソン」と名指しした。これが決定打となって和泉氏関与と「総理のご意向」の証拠ともいえる一体化の事実を言い訳に使うことはできなくなった。

このように考えると、事実もぴったり符号する。藤原氏が最後に一体化に言及したのは、昨年6月8日の参院・内閣委員会であり、文書の存在について追加調査することが決まったのは6月9日、文書の存在が確認されたのは6月15日、前川氏の記者クラブ会見は6月23日である。

愛媛県知事が定例会見で「二つの制度が一体化した窓口に提案してはどうかと助言された」と述べたのは5月24日の一度だけで、6月は政府対応を静観する姿勢を示し、7月以降は「助言があって国家戦略特区で出した」などと事実と異なる説明を繰り返した。2015.4.2メールの存在が明らかになった今、これが印象操作だったことは明白だ。

また、今治市に対し、東京新聞は6月21日に情報開示請求をしたが、今治市は7月5日にそれまで開示していた文書の一部を全面非開示とすることを決定した。全面非開示となった文書には15年4月2日の東京出張の記録や報告書等も含まれる。

今回新たに存在が確認された二つの文書(2015.4.2メール愛媛県職員メモ)は、その15年4月2日の面談に関するものであり、いずれも一体化に関連した発言内容を含む。誰の主導で「一体化」がこれだけひそかに実行されたのかが明らかになれば、「首相案件」の意味も自明になる。決して、「特区案件は全て首相案件だ」とか「岩盤規制の改革を伴う提案は首相案件だ」とか、そんなナンセンスで逃げ切らせてはいけない。

昨夏からずっと気になっていたことがある。それは、国家戦略特区サイトは何故あんなことになってしまったのか、ということだ。 「あんなこと」とは、例えばこんなことである。 こんな調子で同じ項目があちらこちら...

この記事を書いたときは、一体化隠しよりも、和泉氏を連想させる「地方創生」というキーワードと国家戦略特区を切り離すためのサイト改造だと考えたが、今になって思えば、それだけでなく、国家戦略特区が単体運営であるかのようにより強く印象づける意図もあったのかもしれない。