昨夏からずっと気になっていたことがある。それは、国家戦略特区サイトは何故あんなことになってしまったのか、ということだ。
「あんなこと」とは、例えばこんなことである。
こんな調子で同じ項目があちらこちらに重複掲載され、サイト設計が支離滅裂なのだ。次回の記事で触れるが、国家戦略特区サイトは加計問題の追及が始まった時点で既におかしかった。しかし、ここまで酷くなったのは昨夏の大改造による。
どれほどの改造だったのか、まずはトップページ全体のビフォー・アフターを下の画像で確認してほしい。左がビフォー、右がアフターである。なお、スナップショットの日付(日時)は、ウェブアーカイブに保存された協定世界時(UTC)を全て日本標準時(UTC +9時間)に変換して示している。
こうして並べると、ほぼ全面的に改装されたことがわかる。ただし、画面には一部しか表示されない上、目立つ特区マップがそのまま残っているため、ほとんどの人は全体がこれほど変貌していることに気づかないだろう。私自身、当時毎日のようにサイトを訪問していながらすぐには気づかず、気づいてからも「イメチェンか?」程度にしか思わなかった。
しかし、国家戦略特区と構造改革特区が一体化されていたことを知ってからは、この全面改装を疑いの目でみるようになった。なにせ、メインコンテンツを囲うヘッダー、サイドバー、フッター等の「枠」が、ビフォーでは構造改革特区サイトと同じ内閣府・行政サイト横断型のグローバル版だったのに、アフターでは国家戦略特区独自のローカル版に変わっているのだ。
加計問題の渦中、全く告知もせず、突如ここまでの全面改装を行った理由はなにか。それをあぶり出すには、改造のあった時期を「昨夏」より小さい枠に絞り込まねばならないが、アーカイブではトップページばかりを見ていたため、それがこれまでできずにいた。
しかし、最近になってようやく「枠」だけなら下位ページでも確認できることに気付き、時期を絞り込むことができた。下に並べた2枚のスナップショット。異なる下位ページではあるが、左のページがアーカイブされてから22時間余り後に右のページがアーカイブされ、かつこの間に「枠」がグローバル版からローカル版に変わっている。昨年7月29日土曜日の午前3時過ぎから翌日曜日午前零時過ぎまでの間に改造が行われた、ということになる。
その直前の出来事といえば、7月24~25日に行われた衆参の閉会中審査である。そこで安倍首相は、今治市における加計学園の獣医学部設置計画について「(2017年)1月20日に初めて知った」と無理筋の答弁をし、過去の矛盾する答弁については「構造改革特区と国家戦略特区について取り違えていた」「混乱があった」として実質的に撤回している。
以前にも当ブログで取り上げたとおり、2015年春から国家戦略特区と構造改革特区が一体運用されている事実を踏まえれば、「取り違えた」というのは全く無意味な言い訳である。また、国家戦略特区諮問会議の議長という立場にある者が一体化について知らなかったということはあり得ない。知っていて尚「取り違えていた」と答弁したのであれば、答弁自体が虚偽だったということになる。
つい最近どこかで聞いたような話だが、首相答弁と辻褄を合わせるために改造が行われたのだろうか。つまり、国家戦略特区を他から切り離すことで構造改革特区と一体運用されている事実を隠したと…。
しかし、両特区の一体化など元々告知もしておらず、今でもほとんど認識されていないのだから、あの時期になって一体化隠しのための全面改装を敢えてするとは考えにくい。
他に理由があるとしたら何か。それを探るうち、ヘッダーのある部分が目に留まった。ヘッダーの「地方創生推進事務局」の部分が見出しから切り離され、「首相官邸」とある検索ボックスの隣に移動している。
通常、ヘッダーの見出しは「ホーム」へのリンクとなっている。見出しのリンク先は、ビフォーでは当然国家戦略特区を運営する地方創生推進事務局のホームページだった。それが、アフターでは国家戦略特区トップページとなっている。一方、隅に移動した小さな「地方創生推進事務局」のバナーをクリックすると事務局HPに移動する。しかし、こんな隅にあるリンクが「ホーム」へのリンクだと思う人はいないだろう。
もしかすると、これは見たまま地方創生推進事務局と国家戦略特区を切り離すための改造だったのではないか。
7月24~25日の閉会中審査には、安倍内閣の地方創生担当である和泉洋人首相補佐官も参考人として招致されていた。前川喜平前文科事務次官が「キーパーソン」と名指しした人物である。
前川氏は、2016年9月に和泉補佐官から呼び出され、「総理の口からは言えないから私がかわって言う」として、獣医学部新設の対応を早く進めるよう促されたと証言している。
7月24日、その真偽の程を問われた和泉氏は、「直接は国家戦略特区の業務に関与していない」「全体としてスピード感を持って取り組むべきだと言った」と前川氏の証言を否定している。
しかし、地方創生担当の和泉補佐官が国家戦略特区の業務に関与していないなど本来あり得ない。事実に基づけば、むしろ深く関与している。
国家戦略特区制度の趣旨は、運用開始当初こそ、その法の第一条にあるとおり「産業の国際競争力を強化するとともに、国際的な経済活動の拠点を形成すること」だったが、程なくして和泉氏が担当していた構造改革特区制度と同じ「地域の活性化」が謳われるようになった。
安倍首相は、第189回国会(2015年2月12日)における施政方針演説で「戦後以来の大改革」の一つとして「地方創生」を挙げ、「国家戦略特区制度を進化させ、地方の情熱に応えて規制改革を進める「地方創生特区」を設ける」と宣言している。同様の文言は、2014年12月27日まち・ひと・しごと創生本部決定の「まち・ひと・しごと創生総合戦略」にもある。
そして、その宣言通り、2015年度に2次指定・3次指定で選出された特区は、実は「地方創生特区」と称するのだ。特区マップにも小さくそう記されている。
特区の3次指定に向けて検討が進んでいた頃、日経BP企画の対談(2015年11月11日記事)で和泉氏は「安倍政権では「まち・ひと・しごと創生本部」を創設して、地方の創生に取り組んでいる」と述べ、北九州市の特区提案(北九州市スマートシティ創造特区)にも言及している。その際、「この提案では、介護保険法が定める従業員数や居室の床面積などを市が決められるよう規制緩和を求めている」と説明している。当時一特区候補に過ぎなかった北九州市の提案内容を対談で引用するほど詳しく把握していた。
広島県・今治市は、3次指定で北九州市、千葉市とともに「地方創生特区 第2弾」として選出されている。これでも、和泉氏は「直接関与していない」などと言うのか。
和泉氏は、閉会中審査で「補佐官として国家戦略特区諮問会議にも陪席する」と発言したが、実際は地方創生担当という立場があるからこその陪席なのだ。
改めて確認すると、国家戦略特区パンフレットの表紙にも「地方創生」の文言がある。
このパンフレットには構造改革特区との一体運営についても記載がある。両特区の一体化も、「国家戦略」を「地方創生」に「進化」させる流れの中で行われたのだろう。
そういえば、担当大臣の役職名も2015年10月に「内閣府特命担当大臣(国家戦略特別区域担当)」が廃止され、「内閣府特命担当大臣(地方創生担当)」に改まっている。
とっくの昔に「国家戦略特区」から「地方創生特区」に看板が替わっていてもおかしくないのに、あの閉会中審査の直後、「国家戦略特区」を前面に出し、まるで独自運営・単体運営であるかのような表看板に付け替えた。
あれが地方創生と国家戦略特区を切り離すための大改造だったと考えると、アフターのサイドバーにある「総合メニュー」の謎も解ける。サイドバーの下方に埋もれている「総合メニュー」。これは、地方創生推進事務局の「総合メニュー」に他ならないが、あるはずの「国家戦略特区」がない。
もう一つ。ヘッダーの隅に移動した「地方創生推進事務局」の部分をクリックすると、かつて「地方創生推進事務局」のホームページだったURLに移動する。現在は「リニューアルのお知らせ」ページとなっていて、「URLが変更されました」とある。新設されたURLにあるのは、内閣官房・内閣府総合サイト、その名も「地方創生」。和泉氏の本拠地である。
昨夏のサイト改造は、無駄なビジュアルコンテンツや重複掲載の中に悪意ある印象操作のための改竄を紛れ込ませ、「地方創生」担当の和泉補佐官と国家戦略特区の結びつきを隠蔽する意図が背景にあったのだ。
その結果、現在の国家戦略特区サイトは、国家戦略特区の運営実態について誤った認識を誘導するものとなっている。公用文書としての公式サイトの効用を明らかに害しており、公用文書等毀棄罪が疑われる事案だ。サイトの改造・改竄を指示したのも和泉氏だろう。内閣府の職員が勝手に表看板を書き換えるはずはない。
そこまでして前川氏の証言を崩そうとしたのであれば、前川氏の証言内容が「不都合な真実」だったことは間違いない。「総理のご意向」はやはりあったのだ。