杉田水脈「LGBT支援の度が過ぎる」がわかると、同性婚法制化の必要性がわかる

「新潮45」8月号に掲載された杉田水脈氏の寄稿文「『LGBT』支援の度が過ぎる」。杉田氏に色々混同や混乱があることがわかる内容だが、杉田氏の「記事を全部読めばわかる」という言葉を信じ、混同や混乱も含めて全体を理解しようと何度も読んでみた。読みながら生じた疑問について情報収集するうち、意外にも、確かに色々なことがわかった。今回は、まず、私自身がようやく納得できた「杉田氏の寄稿の真意」と、そこに辿りつく過程で見えてきたことについて書こうと思う。

杉田氏は、今回と同じような発言を2015年にもしている。背景には、渋谷区でいわゆる「同性パートナーシップ条例」が採択されたことや、自身の地元兵庫県の宝塚市でも市長の指示で検討が始まったことがあった。渋谷区の条例は、正式には「渋谷区男女平等及び多様性を尊重する社会を推進する条例」という名称で、パートナーシップ証明の件は条例の一部に過ぎない。本文も含め、「性的少数者」という言葉はあっても、「LGBT」という言葉はどこにも使われていない。通称の「同性パートナーシップ条例」をさらに短くして「同性婚条例」と呼ぶメディアもあったが、当時議員浪人中だった杉田氏は、ブログやネット番組において、これを敢えて「LGBT支援策」または「LGBT支援法」と呼んで批判した。

ここで注目したいのは、杉田氏がもつ「LGBT」の概念だ。杉田氏は、同性2人の間にあるパートナーシップ(「同性パートナーシップ」)も「LGBT」に含め、「LGBT」と「同性愛」をほぼ同義に扱っている。ネット番組(【日いづる国より】杉田水脈、LGBT支援論者の狙いは何?[桜H27/6/5]  5:20~)でも渋谷区の条例について解説しているが、杉田氏は、冒頭で「LGBT」の各文字が何を表すかを説明すると、その後は延々10分以上、「同性愛」への言及しかしていない。「生産性がない同性愛の人たち」(8:43~)、「今回のいわゆる同性愛支援のこと」(16:54~)といった言及もある。「LGBとTは区別すべき」という言葉通り、杉田氏は、「LGBT」と言及した場合であっても、トランスジェンダーを含めて考えていない。また、バイセクシャルについての言及はほぼなく、正しい言い方かはわからないが、両性愛のうち同性愛という側面だけを見ているようだ。杉田氏のいう「LGBT」は、同性愛(者)および同性間のパートナーシップを意味する傾向がある。

同じような傾向は、今回の寄稿文にも認められる。例えば、段落の冒頭では「LGBT」と言及しているにもかかわらず、同性愛もしくは同性愛者の話だけで段落が終わることが度々ある。同性愛のことしか書いていない段落や、「LGBT」が同性愛を意味していると解釈しなければ矛盾する段落もある。LGBTに関する杉田氏の言説は、「LGBT≒同性愛」という前提で解釈しなければ、真意は見えてこない。

次に、批判が集中した段落とその前置き部分を引用する。「LGBT」が何を指しているか意識しながら読んでほしい。なお、下線は筆者による。

 LGBTの当事者たちの方から聞いた話によれば、生きづらさという観点でいえば、社会的な差別云々よりも、自分たちの親が理解してくれないことのほうがつらいと言います。親は自分たちの子供が、自分たちと同じように結婚して、やがて子供をもうけてくれると信じています。だから、子供が同性愛者だと分かると、すごいショックを受ける。

これは制度を変えることで、どうにかなるものではありません。LGBTの両親が、彼ら彼女らの性的指向を受け入れてくれるかどうかこそが、生きづらさに関わっています。そこさえクリアできれば、LGBTの方々にとって、日本はかなり生きやすい社会ではないでしょうか。

リベラルなメディアは「生きづらさ」を社会制度のせいにして、その解消をうたいますが、そもそも世の中は生きづらく、理不尽なものです。それを自分の力で乗り越える力をつけさせることが教育の目的のはず。「生きづらさ」を行政が解決してあげることが悪いとは言いません。しかし、行政が動くということは税金を使うということです。

例えば、子育て支援や子供ができないカップルへの不妊治療に税金を使うというのであれば、少子化対策のためにお金を使うという大義名分があります。しかし、LGBTのカップルのために税金を使うことに賛同が得られるものでしょうか。彼ら彼女らは子供を作らない、つまり「生産性」がないのです。そこに税金を投入することが果たしていいのかどうか。にもかかわらず、行政がLGBTに関する条例や要項を発表するたびにもてはやすマスコミがいるから、政治家が人気とり政策になると勘違いしてしまうのです。

この部分の最初の段落は、冒頭で「LGBTの当事者たち」と言っているが、当事者が同性愛者の場合の話しかしておらず、冒頭の「LGBT」も「同性愛者」を意味するものとして読まなければ、段落が完結しない。バイセクシャルやトランスジェンダーの話は他でも出てこないため、この段落以降も「LGBT」を「LG」(文脈に応じて、同性愛者、同性同士、同性パートナーシップ等の意)に読み替える必要がある。

今回、杉田氏は、朝日新聞を批判する特集で敢えて「LGBT支援」(つまり同性パートナーシップ「支援」)の話題を選んだわけだが、この話題を選んだ理由と思われる出来事が三つある。

一つ目は、一時停滞していた同性パートナーシップ制度導入の動きが今年になって盛り返してきたことだ。杉田氏の寄稿が掲載された「新潮45」の発売前、本年5月から6月には、首都圏を中心に27の自治体で同制度を求める陳情、請願が一斉に提出されている(朝日新聞DIGITAL 2018年6月6日 オンライン記事)。

二つ目は、本年5月、法務省に対し、国際人権団体アムネスティ・インターナショナルが性的少数者への差別を禁止する法整備を要請したことだ。その際、LGBT自治体議員連盟の世話人を務める前田邦博・文京区議会議員は「婚姻の平等性がないことが差別だ。パートナーシップ制度は全国で広がっており、国も動かないといけない。」と述べた(毎日新聞 2018年5月17日 オンライン記事)。前田氏の発言では、パートナーシップ制度が同性婚の制度化に向けた布石という位置づけになっている。

三つ目は、一つ目の報道があった一週間後、(一社)LGBT理解増進会が開催したシンポジウムに自民党議員らが登壇し、二つ目に挙げたアムネスティの要請を実質的にはねつける発言をしたことだ。発言したのは自民党の「性的指向・性自認に関する特命委員会」の委員らで、LGBTへの理解を増進する法律の必要性は訴えつつも、委員長を務める古谷圭司衆院議員は「罰則規定や同性婚、パートナーシップ証明にはくみしない。あくまで理解増進に努める。」と述べた(毎日新聞 2018年6月13日 オンライン記事)。

「LGBT」を「同性愛」(同性パートナーシップ)と同義に扱う杉田氏の傾向や、同性婚の法制化に向けた社会の動き、また、それと対立する自民党の姿勢などを踏まえると、上に引用した部分の解釈は次のようになるのではないか。

LGの当事者は、生きづらさは、社会の差別よりも親の無理解によるところが大きいという。親は、子が自分たちと同様に異性と結婚して子供をもつものだと信じている。だから、子が同性愛者だとわかるとショックを受ける。

(婚姻)制度を変えても、(親の望む結婚の形ではないため)どうにもならない。生きづらさ(の解消)は、親が子の(同性愛という)性的指向を受け入れられるかどうかにかかっている。それさえかなえば、日本は同性愛者にも住みやすい社会になるだろう。

リベラルなメディアは生きづらさを社会制度のせいにし、(差別禁止法などによる)その解消を主張するが、そもそも世の中は生きづらく、理不尽だ。それを乗り越える力は教育が養うものだ。生きづらさを解決しようと行政が動くのは悪くはないが、行政が動けば税金がかかる。

男女のカップルには、出産や育児の支援等、税金を使う理由がある。しかし、子供を作らない同性同士のカップルに税金を投入することに賛同は得られまい。にもかかわらず、行政が同性愛(同性間のパートナーシップ)に関する条例や要綱を発表するたび、マスコミがもてはやすから、政治家は人気とり政策になると勘違いする。

この解釈だと、行間に先ほど挙げた三つの出来事の影響が感じ取れる。まだ原文にある曖昧さは残っているが、大分具体的な話として見えてくる。

この解釈に基づけば、杉田氏の言いたいことは、理解を進めるために行政が動くのは構わないが、同性同士のカップルのために行政が動き、婚姻を認めるよう制度を変えたり、罰則規定(差別禁止法)で社会制度を縛ったりすることには反対だ、なぜなら子供という社会的付加価値を産出しないところへ税金を投入することになるからだ、と要約することができる。

これは、過去、杉田氏とともに憲法フォーラムに登壇したことのある八木秀次氏が産経新聞「正論」で主張していることとほぼ同じ内容だ(【正論】2016年4月18日「LGBT差別禁止法に異議あり!異性愛を指向する価値観に混乱をきたしてはならない」麗澤大教授・八木秀次)。

つい忘れがちだが、この寄稿は、朝日新聞の批判特集のために書かれている。マスコミのせいで政治家が勘違いすると唐突に断じているのは、そのためだろう。同様に、寄稿タイトルにある「『LGBT』支援」は、ここに書かれた行政支援のことではなく、朝日新聞による報道を通じた「LGBT支援」を指していると思われる。報道が「もてはやす」ことを「度が過ぎる」と言っているのだろう。杉田氏は、行政と立法の区別も曖昧なため、ここでの「行政が動くということ」には、議員や議会の立法活動も含まれる。最後に政治家に言及しているのもそのためだ。

こうした様々な概念の混同が全体を非常にわかりにくくしている。ここまで辿り着くのに私は3ヶ月近くかかったが、杉田氏によると、炎上直後、LGBTの理解促進担当議員から「きちんと理解しているし、党の立場も配慮して言葉も選んで書いている。問題ないから。」と言われたそうだ。自民党内において読む人が読めば、杉田氏の真意は一読でわかる、ということなのだろう。三つ目の理由として挙げた理解促進担当議員である古谷氏の発言に同調して書いたのであれば、むしろ当然のことではあるが。

自民党の性的指向・性自認に関する特命委員会が発行した多様性に関するパンフレット「性的指向・性同一性(性自認)の多様性って?~自民党の考え方~」には、次のように書かれている。

Point 1 目指す方向性

(前略)勧告の実施や罰則を含む差別の禁止とは一線を画し、あくまで社会の理解増進を図りつつ、当事者の方が抱える困難の解消を目指します。

Point 2 同性婚・パートナーシップ制度について

憲法24条の「婚姻は、両性の合意のみに基づいて成立」が基本であることは不変であり、同性婚容認は相容れません。また、一部自治体が採用した「パートナーシップ制度」についても慎重な検討が必要です。

こうしてみると、上述の古谷委員長の「くみしない」発言とは違って含みを残す書き方ではあるものの、自民党自体の考え方も筆者がようやく辿りついた杉田氏の真意と大差はない。理解増進はOK、差別禁止法および同性婚やそれに準ずる制度は反対。これだけ批判を集めても、杉田氏が党から「配慮に欠く」程度の指摘と「指導」しか受けなかったのも頷ける。

同特命委員会は稲田朋美議員の指示により設置された。稲田氏は、8月、今回の騒動を受け、産経新聞のオピニオンサイトiRONNAに寄稿しているが、委員会設置の経緯や理解増進法について詳しく解説するだけで、差別禁止はいきなりはできないと言うにとどめ、自民党が同性婚やパートナーシップ制度に反対の立場であることには一切触れていない。「まずは理解増進」と聞こえるが、本当は「理解増進まで」で、その先はない。

自民党は、日本は歴史的に性の多様なあり方に寛容だったという。杉田氏も同じことを言っている。しかし、決して「差別はない」とは言わない。これは、そう言えないから言わないのだ。

実際に日本社会に差別があることを示す事例がある。その概要は、以下のとおりだ。

名古屋市で2014年に男性が殺害された事件で、同性を理由に遺族給付金が支給されないのは違法だとして、本年7月、パートナーの男性が、県に給付金不支給の決定取り消しを求める訴訟を地裁に起こした。刑事裁判で2人は事実上の婚姻関係にあったと認定されており、犯罪被害給付制度が対象とする遺族は事実上の婚姻関係にある相手も含む。同性のパートナーを除外する規定はない。(朝日新聞DIGITAL 2018年7月10日 オンライン記事)。

こうした差別は、当事者が実際にその立場に置かれて初めてわかる差別だ。前例がないだけで社会制度における潜在的な差別は他にもあるだろうし、当事者が最初から自分を対象外だと思って差別に気づいていない場合もあるだろう。そうした未特定の差別も含め、当事者だけが遭遇する困難は、親の理解が得られたからといって解消するものではない。

一方で、この犯罪被害給付制度の事例は、同性婚が認められるだけで自ずと解消される差別もあることを示している。

「まずは理解促進」ではなく、「まずは同性婚の法制化」だ。差別禁止法は十分に認知されておらず、「罰則」という言葉に抵抗を持つ人も多いが、同性婚は今や世論の支持を十分に得ている。

昨年、NHKが行った世論調査で、同性婚を認めるべきかたずねたところ、「そう思う」とした人が51%だったのに対し、「そうは思わない」とした人は41%だった。年代別にみると、若年層ほど「そう思う」の割合が高くなる傾向にあり、18歳から30代では、女性の82%、男性の70%以上が賛成している。40代でも女性の70%、男性の55%が同性婚に賛成だ。理解増進が必要なのは、果たして誰なのか。

政府は、憲法24条と同性婚容認は相容れないと主張してきた。そのためか、同性婚を実現するには憲法の改正が必要だと思っている当事者も多い。しかし、「婚姻は、両性の合意のみに基づいて成立し…」という規定は、戦前、家長の同意が必要だった婚姻を、両性の合意さえあれば成立するようにしたもので、婚姻を異性間のみに認めるという意味ではない、という説の方が主流のようだ。

最初にこの説をきいたとき、正直、わかるような、わからないような、という印象だった。異性間のみに認めるという解釈も成立するように感じたし、成立するのであれば、その解釈で押し通すこともできるのではないか、やはり同性婚については改憲しなければ実現しないのではないか、と感じた。しかし、憲法学者である木村草太氏のシンプルかつ明瞭な解説を読んで、今は同性婚の法制化に改憲は不要だと確信している。

以下に、木村氏の解説を引用する(Huffpost 2017年5月2日)。

たしかに24条には「婚姻は両性の合意のみに基づいて成立する」と書いてあります。しかし、この条文が同性婚を否定していると解釈する人は、ここで言う「婚姻」の定義を明確にしていません。その定義が同性婚を否定しているかどうか判断するために重要な要素であるにも関わらず、です。婚姻とは何を指すのかを明確にする必要があります。

24条で言う「婚姻」にもしも同性婚が含まれるとすると、「同性婚が両性の合意によって成立する」というおかしな条文になってしまいます。ですから「ここで言う婚姻は異性婚という意味しかない」と解釈せざるをえないのです。

つまり24条は「異性婚」は両性の合意のみに基づいて成立するという意味なのです。ここに解釈の余地はありません。そうである以上、同性婚について禁止した条文ではないということです。

――なぜわざわざ「両性の」としたのでしょうか?

この条文ができた沿革ははっきりしています。旧民法では婚姻には戸主や親の同意が必要でした。当事者の意志が蔑ろにされていた。そして家庭の中で女性が非常に低い位置におかれていた。このために、両当事者の意志を尊重する、とりわけ女性の意志がないがしろにされてはならないということで、あえて両性という言葉にしたのです。

『同性婚と国民の権利』憲法学者・木村草太さんは指摘する。「本当に困っていることを、きちんと言えばいい」(宇田川しい)より

であれば、現政府の見解は、自分たちの主張に合うよう、憲法24条を解釈改憲したようなものだ。

同性婚の法制化には、24条の本来の意味を取り戻すことに加え、民法の改正が必要になるが、法改正自体は非常にシンプルなようだ。読売新聞ヨミドクターのコラム「虹色百話~性的マイノリティーへの招待 第50話 同性婚の法律って、どうやって作るの?」に紹介されている木村氏の案は、婚姻適齢を定めた民法731条の後に次の一条を加える、というものだ。

「民法731条の2 婚姻は同性の間でもこれを行うことができる。」

あとは、夫婦の読み替え規定および子の嫡出についての規定を置く。立法活動に多くの時間や労力を要しないのであれば、杉田氏も文句は言えまい。

昨夏、刑法の性犯罪規定が大幅改正された。この改正を後押しした市民団体がどのように運動を展開したのかを取材した記事「刑法の性犯罪規定はなぜ110年ぶりに抜本改正されたのか――『運動のスタートアップ』に学ぶ」には、ストラテジックな側面も含めて参考になることが多く書かれている。

同性婚の法制化は、世論が積極的に動けば、すぐにでも実現しそうなところにある。

私は、アライになります。