杉田水脈「LGBT支援の度が過ぎる」がわかると、誰も特別に税金を注ぎ込むような施策を求めているわけではないとわかる

前回の記事では、前段を検証し、杉田氏が必要性を否定している「LGBT支援」は、実のところ、同性パートナーシップ制度、同性婚、差別禁止法であるという帰結に至った。今回は寄稿の後段に触れる。

杉田氏は、「LGBとTを一緒にするな」という小見出しのついた後段で、特集テーマ「日本を不幸にする『朝日新聞』」を思い出したかのように朝日新聞の記事2件を引用している。しかし、孫引きや部分的な切り取り、記事にはない「LGBT向け」という言葉を足すなど、引用方法からして問題がある。

一つ目の記事「高校生、1割が性的少数者 当事者の5割『偏見感じる』 三重で1万人調査」(朝日新聞 2018年3月17日朝刊 大阪本社(別タイトル・同内容のオンライン記事))からは、「高校生、1割が性的少数者」の部分だけを切り取っている。見出しのみならず内容もしかり。LGBT、X、Qに該当すると答えた生徒の集計データを記事から孫引きし、「世の中やメディアがLGBTと騒ぐから、『男か女かわかりません』という高校生が出てくる。」と根拠のない偏見を述べる。「当事者の5割『偏見感じる』」という部分も当然読んだだろうに、なお、だ。「全体の10%に上り、学校現場での対応の必要性が裏づけられた。」との記者コメントにも触れない。自らの偏見をさらしただけで終わっていることに気づいていないのだろうか。そもそも記事の内容に触れないのであれば、調査報告書から直接集計データを引用すべきだ。

二つ目の記事は、「多様性、選べる制服 男女共用のデザイン模索」(朝日新聞 2018年3月25日朝刊 大阪本社(別タイトル・同内容のオンライン記事))という見出しだが、やはり「多様性、選べる制服」の部分だけを切り取り、「LGBT向けに自由に制服が選択できるというもの」と記事にはない「LGBT向け」という言葉まで使って勝手な要約を付け加えている。記事は、見出しにあるとおり、男女共用のデザインを模索する企業の取り組みを紹介するものだ。トランスジェンダーの生徒への対応として検討が始まったが、保護者や生徒が誰でも自由に選べるデザインを希望した、とある。体が男性、心が女性の生徒に対応したデザインはまだできていない。記事内容からは、人数で言えば一番恩恵を受けるのは女子生徒だろうと容易に想像できる。実際、同内容のオンライン記事(2018年3月26日朝日新聞DIGITAL)の見出しは「女子向け制服に『防寒』スラックス 多様な性、悩む業者」となっている。

そもそも制服の選択に自認する性は関係しても性的指向は無関係だが、杉田氏は、記事にはない「LGBT向け」という言葉を敢えて使っている。この「LGBT」は、杉田氏の通常の用法のように「LG」を意味しているわけではないだろう。杉田氏の言葉でいえば「T向け」というなら、まだわかる。しかし、「LGBとTを一緒にするな」という小見出しまでつけておきながら、なぜこの場面で自ら一括りにするのか。

トランスジェンダーが心の性に応じてトイレを選択することについても、「Tに適用されたら、LやGにも適用される可能性だってあります。自分の好きな性別のトイレに誰もが入れるようになったら、世の中は大混乱です。」と、再び「LG」と「T」を自ら一括りにして、混乱をあおる。制服同様、トレイの選択にも性的指向は関係ない。

杉田氏は、結局、「分けて考えるべき」とは言っても、トランスジェンダーの抱える困難に向き合う気はないのだろう。

杉田氏が寄稿した特集は、「日本を不幸にする『朝日新聞』」と銘打っている。本文中、「不幸」の2文字が含まれているのは、「一方、LGBは、性的嗜好の話です。」という一文で始まる後段二段落目だけだ。そこには、こうある。

マスメディアが「多様性の時代だから、女性(男性)が女性(男性)を好きになっても当然」と報道することがいいことなのかどうか。普通に恋愛して結婚できる人まで、「これ(同性愛)でいいんだ」と不幸な人を増やすことにつながりかねません。

この後、「LGBとTを一緒にするな」という小見出しとは裏腹に、上述の記事2件を起点に、性別も性自認も性的指向も全てないまぜにした議論を展開する。さらには、同性婚を容認すれば、兄弟婚や親子婚、さらにはペット婚、機械婚と、歯止めなく例外を認めることになると主張し、次のように結んでいる。

「LGBT」を取り上げる報道は、こうした傾向を助長させることになりかねません。朝日新聞が「LGBT」を報道する意味があるのでしょうか。むしろ冷静に批判してしかるべきではないかと思います。

「常識」や「普通であること」を見失っていく社会は「秩序」がなくなり、いずれ崩壊していくことにもなりかねません。私は日本をそうした社会にしたくありません。

多様な性のあり方が存在する事実があり、それを反映した社会の動きを報道が伝える。逆向きではない。杉田氏が引用した記事を読めばわかることだ。

「不幸」の2文字が入った段落とこの末尾部分。繋げて読むと、寄稿タイトルと特集テーマが繋がる。後段は、「LGBとTを一緒にするな」より、「LGBT支援の度が過ぎる、日本を不幸にする朝日新聞」という小見出しの方がふさわしい。

とはいえ、やはり朝日批判の印象は薄く、後段にも同性愛差別の色がにじんでいる。前段には「もし自分の男友達がゲイだったり、女友達がレズビアンだったりしても、私自身は気にせず付き合えます。」とあるが、杉田氏が同性愛者を「これ(同性愛)でいいんだ」と思っている「不幸な人」と決めつける人だとわかれば、友達ではなくなるのではないか。

杉田氏は、炎上直後、こんなツイートをしている(現在は削除されている)。

…税金を投入する=福祉を活用する人=社会的弱者です。LGBTの方々は社会的弱者ですか?LGBTの方々でも、障害者の方は障害者福祉を低所得者の方は低所得者福祉を高齢者の方は高齢者福祉を受けられます。年金も生活保護も受けられます。当たり前のことです。

2018年7月18日

…その点に於いて日本の中で何ら差別されていないし、また差別すべきではないと思います。納税者として当然の権利は行使できます。その上で、何かLGBTの方々だけに特別に税金を注ぎ込むような施策は必要ですか?

2018年7月18日

杉田氏の等式に基づけば、寄稿で税金投入の大義名分があるとした少子化対策も福祉政策ということになる。例えば、児童手当は、専業主婦世帯で児童が2人の場合、夫の年収960万円が満額支給の上限となっている。ここでは、児童手当受給対象世帯=社会的弱者という等式は成り立たない。税金が使われるのは福祉制度だけではない。当たり前のことだ。

杉田氏が「LGBT支援」と一括りにして不要だと主張しているのは、実のところ同性パートナーシップ制度、同性婚、差別禁止法だ。いずれも「LGBTの方々だけ」の特別な福祉制度ではない。異性婚だけでなく同性婚も想定して婚姻制度を再設計することは、同性愛者を特別に支援・保護することにはならない。差別禁止法は、社会で起こり得る不利不当、不平等な扱いを抑止するためのもので、性的マイノリティーの特別扱いを促すものではない。

トランスジェンダーの医療も、「考えていい」ではなく、考えなければならないことだ。元々医療保障というのは個別のニーズを特定し、どのように対応するかを決めて運営するものなのだから、トランスジェンダーが個別の対応を求めることは、特別扱いを求めていることにはならない。また、他の性的マイノリティーの医療ニーズについても同じことが言える。

誰も性的マイノリティーに特別に税金を注ぎ込むような施策を求めているわけではないのに、まるでそうであるかのような前提で「支援は不要、特権を求めるな」と主張することは、当事者の尊厳を傷つけるだけでなく、社会に新たな偏見を生むことにもなりかねない。

具体的な施策に言及しないまま「LGBT支援」という呼び方をすれば、性的マイノリティーであること自体を理由にした経済援助や身体の保護を意味しているように受け止める人もいる。これは、そのように受け取った当事者に「援助も保護も求めていない」と言わせてしまう。

「社会的弱者」という言葉を嫌う当事者もいる。例えば、同性愛者は社会的弱者だと誰かが言った場合、同性愛者であること自体が障害で社会生活に支障があると言われたように理解する。しかし、そうではないのだ。同性愛者が直面し得る(全員が直面するという意味ではない)社会生活上の困難(不利不当な扱いや不平等な扱いなど)があると認められる場合、群全体を指して社会的弱者と言及する、というだけだ。それは、女性や高齢者を「社会的弱者」と呼ぶことと全く同じだ。その群に属する個人個人が全て弱者と言っているわけではない。「LGBTの方々は社会的弱者ですか?」と問うことは、自分の性のあり方を障害だと思われたくない心理を利用して「(私は)社会的弱者ではない。」と答えさせる質の悪い質問だ。

議員浪人時代、杉田氏は、今回と同様の理由を挙げて「LGBT支援策は不要」と主張したが、そのときは、同じ場でいわゆる同性パートナーシップ条例にも言及しているため、杉田氏が「LGBT支援策」と呼んでいるものの正体はすぐにわかった。

一方、今回の寄稿では、「制度」、「社会制度」、「LGBTに関する条例」と曖昧な言葉で誤魔化し、「LGBT支援」や「税金を投入する」施策が具体的に何を指すのか明かさないまま、性的マイノリティーを「生産性がない」と乱暴に決めつけた上で公的支援全般を否定するような書き方をしている。

杉田氏は、昨日、この件で記者団の取材に初めて応じ、不適切な言葉があり、誤解を招き、心苦しい、と述べ、差別する意図も人権を否定する意図もなかった、と釈明した。

杉田氏が、曖昧な言葉で論点をぼかさず、パートナーシップ制度や同性婚、差別禁止法に反対する立場を明確にした上で、その理由を適切な言葉で述べていたのであれば、差別でも人権の否定でもなく、見解の相違だという主張は通ったかもしれない。けれども、杉田氏の寄稿は、そのようには書かれていない。どのような意図で書いたのか、その真意を明確にせず、「不適切な言葉」を改めて適切な言葉で説明し直すこともせず、「誤解を招き、心苦しく思っている」と言っても何の意味もない。

ただ、私のようにこれまで思うところはあっても沈黙してきた者が、それではいけないと思うきっかけにはなった。そして、もう一つ。後段は、政府がいかに性的マイノリティーへの理解や対応を怠ってきたかを知るきっかけにもなった。次回は、この点に触れる。

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