「核心部分(大きな嘘は気づきにくい)」の記事の補足
今治の提案があった国家戦略特区の集中受付期間から構造改革特区との同時募集が始まり、国家戦略特区の提案を構造改革特区の提案とみなす取り扱いが始まった。このときから、構造改革特区の運営は、国家戦略特区の運営に実質的に組み込まれている。けれども、この事実は、構造改革特区の側から検証しないとわからない。
第2次安倍内閣発足以降、構造改革特区の運営は変わっていった。加計優遇策は、構造改革特区の時代から既に始まっていたようだ。ただ、関係省庁の意見が意思決定に反映される仕組みだったために、強引なことはできなかっただけだろう。
国家戦略特区に組み入れられたことで、構造改革特区の運営は、まるで別物になっている。
第2次安倍内閣発足以降、構造改革特区の運営がいかに変わったてきたかが一目でわかるよう、表を作ってみた。これは、構造改革特区の提案募集ページから拾った情報に基づく。
表:構造改革特区のこれまでの流れ(日付のすぐ横の数字が、構造改革特区の第何次募集かを表す)
表のとおり、第2次安倍内閣発足以前は、前回募集に係る政府対応方針決定(★)を区切りとして、次回募集が行われている。
第2次安倍内閣発足以降は、前回募集の最終回答と政府対応方針決定(★)が次回募集の後や最中になるイレギュラーが発生しはじめる。
今治が国家戦略特区に提案した〔国3・構27〕の回は、関係省庁からの回答後、半年たってようやく政府対応方針決定(★)があり、さらにその9ヶ月後に再度回答があるという異例中の異例の扱いとなっている。提案から区切りまで1年半という異例の長い取扱い期間について、今治以外の〔構27〕提案者には、どのような説明がされたのだろうか。いや、再回答については、政府対応方針は決定されていないのだから、まだ区切りがついたとは言えないのか…
〔構28〕と〔構29〕については、政府対応方針決定(★)がまだない。推進本部で対応方針を決定するという実務は、今後も続けられるのだろうか。それとも、関係省庁からの回答をもって政府対応方針とするのか。
第27次以降、構造改革特区の実務はがらりと変わった。歪められたとさえ言える。現状は、既に国家戦略特区制度に吸収された感がある。
裏を返せば、国家戦略特区の運営も、今治の提案に合わせて変化したといえる。なんら丁寧な説明はないが。
構造改革特区も国家戦略特区も、歪められた運営を正すためには、制度自体を停止・見直しするか廃止するしかないのではないだろうか。