福島第一原子力発電所の事故後、ある話を聞き、日本の原発経営には安全意識が根本的に不足しているのではないかと感じた。以来、私は脱原発を支持している。
東日本大震災の前後、2011年の初頭から夏頃まで、私はある米国企業の日本市場開拓事業に関わっていた。その米国企業の主力事業は、エネルギー事業の支援業務で、原子力発電所の開発や管理運営に係るコンサルティング業務も行っていた。その他に異分野の製品開発部門もあり、私が関わったのはそちらだった。
外注の外注で引き受けた仕事は、メール連絡で済むことがほとんどだったが、計3回、東京で米国人担当者等と合流する機会があった。そのうち2回は震災後だった。
米国人担当者の1人は、本社の原発部門にも関わりがあり、震災後の初出張時には、こちらの仕事の後、別便で来日した原発部門の担当者と合流することになっていた。福島第一原発の廃炉に向けた作業工程案をプレゼンする場に同席するという話だった。プレゼンは、東京電力の社内で行われるようだった。
その次の出張時には、彼の仕事は原発事故関連の業務がメインとなり、短期日程のこちらの仕事を終えると、自然と福島の原発事故の話になった。彼は、「本来、原発は安全に運営できるものなんだ」と話し始めた。守秘義務を理由に東電との会議内容については一切触れなかったが、「一つだけ教えられる話」をしてくれた。
「とても基本的なことだが…」と言って、彼が熱心に語った話は、次のような内容だった。
日本の製品開発は、製品を市場に出した後もわずかな性能向上のために幾度も細かい仕様変更を加えるが、いつも言っているとおり、それは望ましいやり方ではない。仕様変更の度に安全性の面で問題がないか再度あらゆる可能性を検証しなければならないからね。
同じことは、原発施設にも言える。だが、驚くことに、福島第一の各ユニットにはそれぞれ違う危機管理マニュアルが存在するんだ。1 これは、ユニットごとに設備仕様が異なることを意味している。我々のスタンダードでは考えられないことだ。
ユニットを増設する場合、基本的に、危機管理マニュアルの変更を要する仕様変更はしない。これが鉄則だと我々は考える。なぜなら、それをすれば、安全対策の知見が相互に生かせなくなるからだ。
原発経営では、平時から、危機管理体制の機能性や実行性を高めるため、安全対策の点検・見直しを定期的に行い、危機管理マニュアルも必要に応じて更新しなければならない。設備仕様が違えば、一つのユニットで安全対策上必要な工程や作業が新たに特定されても、同じ対策を別のユニットに即適用することはできない。まずは、そのユニットにも同じリスクが存在するか確かめるところから始めなければならない。福島第一のように複数のユニットで同時に事故が発生した場合は、さらに問題だ。事故原因の解明や廃炉作業において、ユニット間で情報共有しても、その意義は著しく低下する。
それだけじゃない。各現場が異なる危機管理マニュアルに従って動くということは、危機管理体制に互換性がないということだ。事故発生時の緊迫した現場ではスタッフの休養を確保することも安全管理上重要だ。事故が長引いた場合は特にだ。設備が同じであれば、別のユニットの危機管理チームも交代で事故処理に当たることができる。だが、設備が違えば、別のユニットのチームは、その違いをマニュアルから学ぶところから始めなければならない。
ユニットを増設する際、設備の仕様変更が許されるのは、それによって安全性が向上するときだけだ。そのような仕様変更はむしろしなければならないし、既存のユニットにも当然同じ変更を適用しなければならない。そうなると、既存ユニットの危機管理マニュアルも同時に修正することになる。結果として、危機管理マニュアルは相互に同じものとなる。もし、その変更が既存ユニットに適用できないのであれば、廃炉という選択になる。廃炉となれば大損だが、安全対策を徹底するためには仕方ない。だからこそ、最初の設計段階で徹底的に安全上のリスクを洗い出し、手当てしておくことが重要だ。
安全上のリスクになるような仕様変更は、それで性能が向上したとしても「カイゼン」とは呼べないんだ。ユニットごとに設備が違うなんて考えられないことだよ。
当時この話を聞きながら、私は頷くばかりだった。
その後、福島第一原発の事故に関する報道でこの「基本的なこと」を耳にしたことはない。ずっと後になって東電事故調の報告書も確認してみたが、それらしきことへの言及は見つからなかった。また、新規制基準の前提となる法改正で、既存施設に対しても最新の規制基準への適合を義務付けるバックフィット制度は導入されたが、設備の仕様変更や危機管理マニュアルの管理等に係る規制や注意喚起は聞いたことがない。
このブログを始めてから、いつか彼が教えてくれた「基本的なこと」についても書こうと思っていたが、本当に「教えられる話」だったのだろうか等、色々迷っているうちに時間だけが過ぎてしまった。しかし、改めて考えると、あまりに「基本的なこと」で隠すようなことではなく、他の原発の安全対策上も必要な知見だから「教えられる話」なのだろう。そこが重要だという視点さえあれば、型式等の情報から危機管理マニュアルの中身が同じか違うかは容易に推測できる。
現在行われている東電刑事裁判では、主に、津波が予測可能だったかと、有効な対策は可能だったかが争点となっている。
先日の第31回公判で、原発の安全対策を担当していた武藤元副社長は「最善の努力をしたが、いかんともしがたかった」と述べ、事故は防げなかったと改めて主張した。
事故の3年前、社内では最大15.7mの津波が想定されていた。第31回公判で、この想定値に基づき防潮堤を建設していれば事故を防げたのではないかと問われ、元副社長は「計算結果と今回の津波の規模が違うので、具体的にどのようなものを作っておけば防げたのか、検討していないのでよくわからない」と述べた。
防潮堤の建設は、施設内設備への変更を伴わず、全てのユニットの安全性を同時に向上させられる合理的な安全対策だ。巨大津波の想定があったにもかかわらず対策をしなかった事実と、最善の努力をしたという主張は矛盾している。数値は根拠が薄かったとも主張しているが、その主張こそ十分な根拠を欠いている。
福島第一原発のユニットは、型式が違うものもあり、契約者もまちまちである。彼が教えてくれた話はおそらく事実だろう。事実なら、経営陣の安全意識は全く不十分だったと言わざるを得ない。原発事故の直接原因は、巨大津波による浸水とそれによる電源喪失だろうが、根本原因は、安全を最優先に考え、対策を徹底する意識が欠如していたことにあったのではないだろうか。
「基本的なこと」に言及がない、東電の事故調査報告書では、問題点が全て明らかになったとはいえない。再稼働する原発もある中、事故と直接関係なくても、安全対策上有効な知見は全て明らかにすべきだ。
東電刑事裁判では、昨日の第33回公判をもって全ての被告人質問が終了してしまった。もっと早くこのことを書いておけばよかったと、今、非常に後悔している。